[NAO活動日誌]
2010年元旦よりシステム変更に伴い「活動日誌」がリニューアルいたしました。
 昨年までの日誌は画面下の「過去の日誌」でリンクされております。
 まだ画像縮小ソフトをインストールできません2011.5.14
 夕方、明日の神原校区ふれあい運動会の準備をしました。
 久しぶりに、みやわき矯正歯科へ検診に行きました。
 選挙の後始末も、少し落ち着いてきました。

 久しぶりの晴天2011.5.13
 昨日も、市議会の会派の会議がありました。臨時議会が20日頃予定されていますが、新議長などの人事をどうするか話し合っています。まだ結論は出ません。
 夜は、神原レインボーのボーリングでした。
 久しぶりの晴れた一日です。それにしても補欠選挙の時も終わったら大雨。今回の選挙も終わったら大雨。連休と大雨が終わり、貴重な平日の晴れた一日になったので有効に使わないと明日はもう土曜日です。

 若年層の選挙離れ2011.5.11
 昨日の宇部日報に、史上最低の投票率だった宇部市議会議員選挙分析が載っていました。なんと、20歳代前半の投票率は12.93%だったそうです。8人に一人しか投票していないとは驚きました。
 投票率が下がったのは、立候補者の公約が面白くなかったのが原因かと思っていましたが、低年齢層になるほど投票率が下がるのは他にも原因があるのでしょう。
 たとえば、学校では政治を教えません。何か悪いことのように、政治に関わることを嫌う教師の影響もあるかもしれません。(教師の人にはごめんなさい)
 民主主義において、選挙権を行使することは大人になって納税や勤労の義務と同じくらい大事なことだと思いますが、成人した直後の若者はそれを放棄しているわけです。
 現在も世界では、いたるところで命がけの民主化運動が起きています。日本も明治・大正時代、自由民権運動がありました。真の民主主義は敗戦によってもたらされたものですが、平和と民主主義が空気のようにあって当たり前になった今の若者にとって、何か生活のかかった命がけの危機でも起きない限り、このままでは(少数の民意で当選した政治家が国家を操り)日本が日本でなくなるのではないかと心配します。
 投票に行かなかった若者を見つけたら、他人の子供でも「愚かものめ」と言ってやりたい気分です。

 後片付け2011.5.9
 一昨日も書きましたが、選挙が終わってすぐ連休に入った為、企業や金融機関の休みが続き、選挙の後始末の時間が足らず困り果てていました。今日からやっと普通の週が始まりほっとしています。電気や水道料金の支払いも今日やっと終えました。今日が選挙収支報告書の締め切りですから、どの陣営も連休や土日は大変な不便だったと思います。
 世間一般はゴールデンウィークだったわけですから、私も普通に休みたかったというのが本音です。
 パソコンを、ウィンドウズ7に変更したため、これまで使ってた写真のデーターを縮小するソフトが機能せず、まだ写真を取り込めません。これも選挙の後片付けのひとつです。
 今夜は、全日空ホテルでかたばみライオンズクラブと宇部サルビアライオンズクラブの合同例会がありました。昼間は市役所4階の議員の会派室で議員同士の意見交換でした。

 2011.5.7
 昨日は、連休の合間の数少ない平日で、とても忙しい一日でした。連休前に選挙があるので、この貴重な平日に多くの用事が集中します。
 昼間、会派の会議もありました。よるは会派で引退された広重前議長の送別会でした。
 今日は、宇部マテフレッセラテニスコート(中央公園コート)で、ソフトテニス春季リーグ戦がありました。午後、ヒストリア宇部で将棋名人戦(羽生名人対森内)の解説会を見に行きました。

 2011.5.5
 宇部新川市祭りがありました。中津瀬神社が中心の祭りです。『狐の嫁入り』の儀式がありました。正真正銘の結婚式です。
 パソコンを新しくしたので、写真を取り込む準備ができていません。

 中津瀬神社2011.5.4
 中津瀬神社春季例祭がありました。明日は宇部新川市(いち)祭りです。前夜祭があります。

 収支報告2011.5.3
 選挙の収支報告書(第一回)を本日提出しました。今日は憲法記念日で祝日ですが、選挙管理委員会は業務をしています。まだ電気・水道・電話の料金の精算がまだなので、第二回目の収支報告も提出しなければなりません。
 先週は、骨髄バンクを支援する山口の会の役員会などや市議会の会派の会議などで多忙でした。
 また、ここの日誌を正常化します。

 事務所を片付ける2011.4.28
 午前中で、新天町の選挙事務所の片付けは終わりました。
 政務調査費(月2万円)の3月末締めの支出の計算も終わりました。領収書の添付義務があります。会派でまとめます。 
 午後、県庁で県内各地の健康福祉センターの担当者を集めた骨髄バンク会議がありました。(財)骨髄移植推進財団の地区普及広報委員と骨髄バンクを支援する山口の会の会長として出席し、今年度の骨髄ドナー登録を行政担当者に説明する立場でした。夕方は市役所で清志会の会議、夜は神原校区社会福祉協議会総会でした。

 選挙が終わって2011.4.27
 選挙が終わっても忙しい毎日です。
 昨夜は、環境衛生連合会神原支部総会がありました。
 今日は、宇部ソフトテニス連盟役員会がありました。
 今月中に、3月末までの政務調査費の支出報告書を作成しなければなりません。もちろん、選挙の収支報告書も5月連休明けが締め切りです。選挙関係の後片付けも大変です。超多忙です。

 当選しました(3期め)2011.4.25
 33人中12番目の成績で、当選することができました。2,236票でした。4年前の1,491票からは大きく票を伸ばすことができました。今回から定数が28人になりました。
 寝たのが今朝3時頃ですが、会社の朝8時からの会議に出ました。

 新聞によれば、投票率は過去最低の49.04%だったそうです。それだけ市民の関心が薄かったとういうことですが、驚くことがわかりました。他の候補者の半数以上が「行財政改革」と「議会改革」をメインに訴えていたそうです。私は、このHPのトップページに書いているとおり、「改革」は政治家の選挙のための言葉に成り下がっており、特に「議会改革」は、やって当たり前だと思っていますから、市民に訴えるほどのことでなく議会自身の問題だと思っています。今更選挙の公約にしていては、市民が選挙で盛り上がらないのは当然だと思います。
 思い出せば、4年前も同じ「議会改革」を多くの候補は訴えていました。今回も「議会改革」を多くの候補者が公約にしていたのには驚きました。
 ただ、選挙カーから私が訴えた内容も「多くの不安を安心に変えたい。まずは宇部市を元気にしたい」というだけでしたから、単純といえば単純です。しかし、今の日本の問題は、「老後の不安」「災害に対する不安」「子育ての不安」「仕事がなくなるかもしれない不安」などの将来に対する不安だと思っています。
 民主党政権になり、そういう不安(日本の領土まで失いそうな不安)でどうしようもない時期に東日本大震災が起き、まさかの原発の事故で日本中が「安全と安心」に自信をなくしていました。東日本を経済で支えなくてはいけない西日本まで元気を失っている状態だと思います。それが宇部市にも当てはまるから「まずは宇部市を元気にしたい」というのが、市議としてのまさに旬な仕事だと思うわけです。

 人生を変えたひとこと2011.4.16
 明日から、宇部市議会議員選挙が始まります。ここを更新できないので、告示前に書いておきます。

 今日、山口大学医学部付属病院の名誉教授(元小児科の医師)の通夜がありました。明日から選挙運動が始まり葬儀に出席は無理なので、通夜に参列させていただきました。
 その先生との出会いは、20数年前になります。先生は私の長女が白血病で山大病院に入院したときの主治医でした。
 子どもの症状が寛解状態(悪性擬似細胞がある基準を下回って症状が安定した状態)になって、骨髄移植を受ければ長期生存の可能性があることをその先生から説明を受けていました。いよいよ骨髄移植が可能かと思ってた矢先、先生から「広島で骨髄バンクのシンポジウムがあるから行ってみませんか」と、A4のチラシを見せながら話がありました。
 私は、当時はシンポジウムが何のことやらまったくわからないまま、骨髄バンクに登録すればすぐドナーが見つかるくらいの気持ちで、そのシンポジウムに参加しました。私はまだ32歳前後で、当事は社会的活動を全くしていなかったので、今の自分からは想像できません。その先生のひとことが今の私に導いたことは、あとから気がついたのですが、その後の人生を変えました。

 そのシンポジウムでは、「骨髄バンクをつくろう」と呼びかける運動の一環で、まだ社会的に知られていない骨髄バンクと骨髄移植を知ってもらうことがメインでした。私は、これでは子どもに間に合わないだろうと愕然としましたが、今できることを何かやらないと一歩も進まないと開き直りました。
 そのシンポジウムの終了後、主催者の人に「山口県で運動している人がいたら手伝いたいのですが・・」と、話すと「あんたが山口県から来たんじゃけえ、あんたがやりんさい」と、思ってもみなかった返事が返ってきました。
 「自分がやらなくても誰かがやってくれる。」そういう甘い考えは吹き飛びました。「必要だと思った人が動かなければ何も変らない。」それを知った私は、山口に戻り、全国の運動の真似をしながら、骨髄バンクの運動を始めたわけです。

 その後、国が骨髄移植推進財団をつくり、今では約38万人の登録者のバンクに成長しました。

 私はこの二つの言葉をきっかけに人生が変り、平成5年から二年間は青年海外協力隊にも参加し、社会的活動に目覚め今の自分に至っているわけです。
 
 今日の通夜に参列し、先生の昔の言葉を思い出し、感謝で感無量になりました。告示の前日ですが、気持ちをリセットさせていただきました。これからも初心を忘れず先生のためにも頑張りたいと思います。

 万倉護国神社で2011.4.12
 今日午前中、万倉護国神社で「さくら祭(御英霊に対し感謝と慰霊の誠を捧げる祭典)」がありました。神事だけで、名前から連想する花見ではありません。万倉護国神社は、蛤御門の変で切腹した国司信濃が祀ってあります。今日の神事では、万倉地区の戦死者204名の名前が、宮司によって全員読み上げられました。

 2011.4.10
 常盤公園のスポーツ広場管理室扉に貼ってあったポスターで面白いのがありました。「救急車はタクシーではありません」と書いてあります。タクシー代わりに、ここから救急車を呼ぶ人がいるのでしょうか。

 桜の花2011.4.7
 県議会議員選挙真最中ですが、選挙に関してはここに書けません。書いていないということは、県議会議員の選挙と自分の選挙準備活動で忙しくしていると解釈してください。
 気がつけば、桜の花が7分咲きです。桜の花を見る余裕がありませんでしたが、今年は少し開花が遅いようです。年に一度桜が咲いて、美しい日本を感じるすばらしい季節です。

 一日が光のごとく2011.4.6
 あっというまに日付が変り、6日になりました。
 昨夜は、神原ふれあいセンターで、神原校区自治会連合会総会がありました。

 叔父が倒れてドクターヘリで搬送された2011.4.3
 昨夜は、神原校区子供会育成連絡協議会総会がありました。
 今日午後、万倉に住む叔父(私の母は12人の兄弟姉妹)が倒れたのが発見されて救急車を呼んでいるという電話が、叔父の隣人からあり、山大病院に緊急入院しました。普通の救急車では間に合わないと判断されて、ドクターヘリで搬送されました。宇部市の救命救急については、3月議会で私も質問したばかりです。
 倒れたのは上から11番目の叔父ですが、脳溢血で緊急手術しました。私の母は上から7番目ですが、一人住まいの叔父とは同じ万倉で一番近いところに住んでいます。結論的に命は取り留めたようですが、結果はまだわかりません。山大病院に一番近いところにいた私が一番最初に駆けつけて、皆が集まるまでに私が手術の同意をして緊急手術の準備となりました。

 栄枯盛衰2011.4.1
 今回の東京電力の原発事故で、東京電力を一民間企業と見た場合、これから発生する補償の問題で危機的な状況にあると言えます。 一昔前、日本航空や東京電力といえば、絶対安心な人気企業だったと思います。特に東京電力は安定収入があり、株価も他の電力会社よりもずば抜けていました。配当も確実で貯蓄型株式とみなされていました。
 これが、今回の事故で一変したといえます。絶対安定という言葉は、電力会社でもあり得ません。時代は変化して『栄枯盛衰』が事実であると思います。
 今日から、山口県議会議員選挙の選挙戦がスタートしました。選挙でも『絶対・・』はありません。

 選挙期間中の更新中断の予告2011.3.31
 明日からいよいよ県議会議員選挙です。県議会の選挙についてはここには書けません。4月17日からの市議選についても、選挙については書けません。HPも選挙期間中は更新できません。お金のかからない選挙を目指すためにも、早くネット選挙解禁になればいいと思うのですが。
 16日までは、書き続ける予定です。ときどき、気がつけば日付が変わっていたりして、書けない日もあります。

 びっくりニュース2011.3.30
 宇部日報でも大震災の義援金が一面を賑わしていますが、そんな中びっくりニュースです。ゴルフの石川遼が、今期の獲得賞金の全額を義援金に回すという話です。こんなすごい発想がどこにあったのでしょうか。この勢いには元気が出ました。頑張れ!!石川遼!
 今日も選挙準備活動中ですが、現職市議としての仕事もこなしています。正直、めちゃくちゃ忙しい毎日です。

 命がけの自衛隊2011.3.28
 今日の産経新聞一面に、自衛隊のことが書かれていました。
『米軍は初めは様子見だったが、自衛隊が命をかけて任務を遂行するさまを見て本気になった』
 「ある隊員からこんなメールが届いた。『自衛隊にしかできないなら、危険を冒してでも黙々とやる』『国民を守る最後の砦。それがわれわれの思いだ』・・・『自宅が全滅、家族も行方不明という隊員が普通に働いている。かけてあげる言葉がみつからない』身内に被害が出た隊員も支援を続ける。『被災地に来て12日目。風呂はまだ一回しか入れていない』『毎日。乾パンや缶メシと水だけ』炊き出しで暖かい汁ものの食事を被災者に提供しても隊員が口にするのは冷たいものばかりだ。・・・わが身は顧みず、何ごとも被災者第一の方針を貫く。」
 前官房長官は「自衛隊は暴力装置」と言いました。なんと恥ずかしい。東京電力福島第一原子力発電所では、被曝の恐怖に臆することもなく、17日からの放水活動の口火を切ったのも自衛隊です。その自衛隊の姿をよく見て、尊敬しようではありませんか。

 今日も、万倉の父の法事2011.3.27
今日午後は、万倉の義父の7回忌の法事があります。今月21日も美祢市の堀越で祖母の17回忌と従兄弟の子の33回忌の法事がありました。今月は法事が続きます。

 選挙運動の方法2011.3.26
 午前中も挨拶回り、午後も挨拶回り、夜は会議です。告示まであと22日です。
 選挙期間中に唯一候補者が配布できる文書は、推薦はがきです。市議会員候補は2000枚、県会議員候補は8000枚です。これ以外の文章は、市が発行する選挙公報と、新聞社に二度の広告掲載(大きさに制限がある)が許されているだけです。選挙とは、告示から投票日まで行われる選挙運動のことをいうのですが、選挙の方法は限られています。法律で定められた方法以外に選挙運動はできません。また選挙運動を選挙期間外にすることもできません。
 ところが、たすきに自分の名前を書いて、毎日交差点に立っているある候補予定者がいます。政党名が書いてあるだけなら、政党活動ですからいつやっても問題ではありませんが、立候補予定者の名前が書いてあるので、選挙運動とみなされ事前運動になるそうです。立派な選挙違反です。だから、彼以外に真似をすることはできません。
 看板も合計12枚と規制されています。大きさ高さももちろん決まりがあります。

 3月議会最終日2011.3.25
 今日で3月議会は終わりました。全ての議案は可決されました。継続審議となっていた、略称『子どもすくすく条例』も修正可決されました。
 さて、次は4月17日(日)告示、4月24日(日)選挙の市議選です。その前に、県会議員選挙(4月1日告示、4月10日投票)もあります。
 昨日、24日は、『泡盛を飲む会』に出ました。同時に、神原ふれあいセンターでは、5月の校区のふれあい運動会の役員会、シルバーふれあいセンターでは、関東東北大震災の救援ボランティア市民会議がありました。

 昔の面影なし2011.3.23
 今日は、議会は予備日となりました。25日が最終日です。議会本会議で採決が行われます。
 写真は、万倉を流れる有帆川ですが、子どもの頃、このあたりで夏は泳いだ記憶があるのですが、川の護岸は整備され、草も生えて昔の面影がありませんでした。災害が無くなるわけでもなく、自然をこのように変えてもいいのかと思います。

 予算委員会がある2011.3.22
 今日も議会で、平成23年度の予算委員会がありました。歳入と特別会計の審査予定でしたが早く終わったので、企業会計の審査も日程を早めて審査をすることになり、委員会の採決まで終わりました。
 援助物資を全国各地から送っているようです。援助物資を集めて被災地に送るニュースばかり流れます。現地で、被災者に届けている映像はほとんどありません。倉庫に積んでいる映像は見ました。受け取る仕事と、個々に配ることにどれだけ労力がいるか想像できます。数や仕分けは送るほうで準備して、現地では配る(ばら撒くでもよい)ことに集中すべきでしょう。

 援助物資、なぜ届かないか2011.3.21
 NHKでやってます。その理由は、海外援助の経験があれば誰でもわかるでしょう。新潟地震でも、長岡市で援助物資が現地に届いたまま、倉庫で眠ったという話があったそうです。阪神淡路大震災でも同じことがあったのです。
 行政が在庫管理ではなく、直ちに被災者に送る措置を講じればそういうことはなくなります。一昨日にも書きましたが、海外援助と同様に集めることより援助を求める人にどうやって届けるかが援助の最大の難問です。海外では、力のある権力者が港に届いた物資を独占する可能性がありますが、日本の場合は行政がまず在庫管理に走ります。それが足を引張ります。そんな余裕はないから全国から援助物資が届いているはずです。
 とにかく援助が無駄にならないように、配ることに重点を置くべきです。そのために、現場に届く混乱を最小限にする必要があります。まずは、各都道府県の役割分担を政府主導で明確に指示することです。

 事務所開き2011.3.20
 今日は大安の日曜日です。事務所開きを行いました。事務所開きといっても、大勢に案内したわけではなく、後援会幹部だけですぐ近くの中津瀬神社に参拝しました。
 大震災の話ですが、数万人の被災者の仮設住宅を建てるより、全国各地からバスで迎えに行き、全国の公設の空き住宅や民間の空き家に団体で輸送する方法はないでしょうか。臨時住民として、全国各地で受け入れ態勢が整っているようです。
 写真はしばらく、先日のくすのきカントリーマラソンのウォーキングのときのものです。

 政府が都道府県に役割分担の指示を2011.3.19
 全国各地で、東北関東大震災への被災地に物資を送る動きが活発化しています。宇部市でも、援助物資を送るため福祉会館へ持ち込むことを呼びかけています。
 ある人から、「全国で同時に物資を送れば、現地への輸送でも混雑するし、現地では集まった物資で混乱し、迷惑になるのではないか」と。「被災地に近い県と、山口県のように遠い県では、援助内容が違わないといけない。」とも。国が指示して、役割分担すればいいのではないでしょうか。
 確かに、生活物資などは近いところから運べばいいし、その方が現実的です。テレビのニュースで、全国から送られてきた援助物資を倉庫に積む作業が流れていました。在庫管理も大変でしょう。 
 海外援助でも同じですが、援助物資を送るよりも、援助を求める人たち個人の手にどうやって届けるかが最大の難問です。現地の倉庫に保管するような長期的な心配は無用でしょう。直ちに被災者に届けて欲しいものです。まだ陸路で孤立している地域があるのなら、ヘリコプターに積んでパラシュートで落下させる方法もあります。
 テレビのニュースに出ない援助が届かない地域もあるようで、そういう被災地の現状は地獄のようだとツィッターで読みました。テレビで報道される体育館の被災者はまだましな方だそうです。まさかと思いますが、倉庫に積まれたまま、どんどん全国から集まりそのままになる可能性を心配しました。今生きている人を早く助けないといけません。

 平成23年度予算委員会2011.3.18
 今日は、朝から夕方まで予算委員会がありました。11番目に質問しました。質問は通告制で、8時半に議会事務局に行ったのですが、届出時間は12人中ビリから二番目でした。宇部市のゴミ処理施設の溶融炉の修理費などについて質問しました。

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