[NAO活動日誌]
2010年元旦よりシステム変更に伴い「活動日誌」がリニューアルいたしました。
 昨年までの日誌は画面下の「過去の日誌」でリンクされております。
 暖かい2013.2.27
 朝から気温が11℃もありました。日中はもっと上がるようです。
 夜6時から、宇部ソフトテニス連盟理事会が宇部マテフレッセラテニスコート管理棟会議室でありました。

 社会教育推進委員会2013.2.26
 夜、神原校区社会教育推進委員会があります。
 写真は、盛り上がっている日韓親善ソフトテニスの懇親会です。竹島の問題があるので、今年は中止かと心配しましたが、話題にもなりませんでした。聞かれたらこう答えるつもりでした。「独島は韓国領土ですか。ならば竹島は日本領土ですよ。」友好目的ですから、そういう心配はありませんでした。

 3月議会の前の勉強2013.2.25
 午前中は教育委員会へ。午後から市役所清志会の会議でした。
 夜は、ある議員と意見交換会をしました。

 日韓親善ソフトテニス大会2013.2.24
 今日は朝から、第14回日韓親善ソフトテニス大会が宇部マテフレッセラテニスコートでありました。毎年日韓で交互に開催されており、山口県内も各地区のソフトテニス連盟の持ち回りで開催しています。今回は宇部ソフトテニス連盟が主管です。夜は、ココランドで懇親会でした。大いに盛り上がりました。スポーツ交流では竹島の問題を話題にする人いませんでした。

 江島潔さんとの話 22013.2.24
<続き>

 さて、江島さんがドナー登録をしたのは92年秋だ。
「登録の問題について質問したんですから、私自身が登録をすることは自然なことでした」
 父の敦さんは参議院議員だったが、二期目の87年5月に体調を崩して59歳で亡くなった。政治家の血は争えない。江島さんは91年4月に市長選、93年7月に衆議院選挙に出馬したが、いずれも涙をのんだ。
 96年8月、財団から適合患者が見つかったという連絡が入った。
「提供することについては、いささかの不安もありませんでした。むしろ適合する確率が低いと盛んに言われていましたから、宝くじに当たったような気分ですね」
 だが、採取のための入院期間をどう確保するかで悩んだ。95年4月に再挑戦した市長選で当選していたのだ。予想以上の激務で、就任後は土曜・日曜もないような生活をずっと送ってきていた。
「結局水曜日の夕方に入院し、木曜と金曜は完全に仕事を休み、土曜と日曜午前の行事を欠席するというスケジュールをたてました」
 そのころ、下関にあった韓国総領事館が閉鎖されることが明らかになったことから、存続のための交渉がつづいていた。韓国に飛んだ江島さんが帰国した日が、まさに入院の日と重なっていたのである。福岡空港に降りたってから、自宅に寄ってすぐ入院したため、地元のマスコミが騒ぎだした。
「江島市長が行方不明」
 そんな見出しを掲げた新聞もあった。しかし江島さんは、退院後も骨髄採取のために入院していた事実を一切明かさなかった。かなりたって事実が分かってから、何人かの記者が謝罪にやってきたという。

 江島潔さんとの話2013.2.24
 2000年4月に「いのちのバトンリレー」(造血細胞バンクのいま)という本が(株)ローカスから出版されています。著者は遠藤允さんです。その中の、第二部「善意のドナー像」『「公人」ゆえの苦悩』P144から、私と江島潔さんについての記述があります。昨日見つけました。書き写してみます。年齢は2000年当時のものです。

 山口県下関市長の江島潔さん(42)も、96年秋にドナーとなった。
 骨髄バンクとのかかわりは、<骨髄バンクを支援する山口の会>が、92年6月に下関市内で開催したシンポジウムに参加したのがきっかけである。その頃江島さんは地元の大学で講師を務めるかたわら、青年会議所のメンバーだった。シンポジウムの後援団体に青年会議所も名を連ねていたのが縁だ。シンポジウムで江島さんは、会場から質問した。
「ドナー登録者を集めるのが大変だという話ですが、日本中のお医者さんや看護師さんに登録してもらえば、簡単に増えるのではありませんか」
 答えたのは、会長の猶克実(なおかつみ)さん(43)である。
「その医療関係者の協力を得ることが、実は難しいのです」
江島さんは納得できない。
「それなら、一般の人たちに骨髄バンクを理解してもらって協力を仰ぐというのは、もっと難しいのではないでしょうか」
猶さんは答えようがなかった。だが、率直なやりとりがふたりを急接近させた。江島さんも<山口の会>にボランティアとして参加したのである。
 建築設計事務所を営む猶さんが、前身の<山口県骨髄バンク推進連絡会議>を立ち上げたのは90年9月だった。長女の絵美さん(17)が5歳だった89年1月に急性リンパ性白血病と診断されたのがきっかけだった。主治医から骨髄移植のことを聞かされ、広島でのシンポジウムへの参加を勧められた。89年11月である。
「そこで娘の患者登録をして、自分もドナー登録するくらいの軽い気持ちでした。その頃は、その程度の知識しかなかったんです。ところが、バンクの設立運動を始めるという話でびっくりしました」
 質問時間に真っ先に手を挙げた。
「骨髄バンクは早くつくらなければいけません。山口県ではどなたが運動をされていますか」
 猶さんは、その人を応援したいと考えた。だが、主催者の<中四国骨髄バンク推進連絡会議>(当時)代表の土居優子さん(現在は<広島血液難病患者家族の会「つばさの会」>代表)の回答がふるっていた。
「あんたが山口から来たんじゃけえ、あんたがやりんしゃい」
 度肝を抜かされたというよりも、猶さんはハッと気がついた。
「誰かを応援するのではなく、骨髄バンクがほしいと思った自分が動かなければならないんだ」
 日本骨髄バンクのスタートを見届けたあとの93年から二年間、家族を残して、青年海外協力隊員としてサモアで過ごすという妙な経歴≠燻揩ツ。
 絵美さんは、九州骨髄バンクのドナーからの骨髄移植を92年夏に受けた。慢性GVHD(移植片対宿主病)との闘いが続いているが、2000年4月から県立大学で社会福祉を学ぶ。
 さて、江島さんがドナー登録をしたのは92年秋だ。

 林芳正農林水産大臣の集い2013.2.23
 昨日、3月議会の議案と予算案が、各議員に配布されました。午後から夕方まで、市役所で精読しました。 
 昨夜は、第28回宇部商工会議所会員大会の式典と交流会がありました。途中で中座して、工学院大学同窓会宇部支部幹事会にでました。
 今日は、朝からフジグラン宇部店で、若き経営者の会の協力による「骨髄ドナー登録会」(献血並行)をやりました。途中、他のボランティアに任せて、午前10半から宇部ANAクラウンプラザホテルに行き、林芳正農林水産大臣の新春の集い(写真)に出席しました。午後1時にフジグランに戻り、ドナーの登録呼びかけを継続しました。
 明日は、日韓親善のソフトテニス大会が宇部マテフレッセラテニスコートであります。夜はその日韓親善の懇親会です。

 宇部日報に載っていた2013.2.21
 毎日寒い日が続きますが、朝は3℃前後午後は10℃近くに上がっていました。まもなく楽しみが多い春です。
 今日も午前中は会社で、午後から市役所でした。昨日の、商店街連合会と産業建設委員会との意見交換会のことが、宇部日報に載っていました。

 今日は三つの行事2013.2.20
 久しぶりに良い天気です。午前中は会社でした。短い時間ですが、構造計算に関係する積算(見積)と、次の工作物の確認申請のための用事があります。
 午後から自民党拡大役員会が文化会館であります。
 同じく文化会館で、午後3時から宇部市青少年問題協議会がありました。宇部警察署管内の青少年による万引きの現状と対策について意見交換しました。産業建設委員の9人のうち7人が出席しました。
 午後5時半から、宇部市議会産業建設委員会と宇部市商店街連合会との意見交換会が、新天町のおもしろファームでありました。夜はその交流会がありました。

 外国人の再入国?2013.2.19
 今日も午前中会社で、昼間市役所、夕方に会社です。夜は、会社の用事で食事会です。

 北朝鮮の「朝鮮総連副議長の再入国を拒否できない。」のニュースで驚きました。「制裁発動まえに、北朝鮮に出国していたから、法的に入国を拒否できない。」が理由のようですが、「出国」と「入国」が逆ではないでしょうか。北朝鮮に帰国していたわけで、「外国人の日本への入国を拒否」なら、よくある話です。日本へ再入国?日本にいるのが基本であるかのような言い方ですが、永住権があっても基本は外国人です。

 いつもの月曜日2013.2.18
 朝8時に会社で会議があり、午前中は会社でした。午後から市役所会派控室で会議でした。夕方みやわき矯正歯科に久しぶりに行きました。
 夜はANAクラウンプラザホテルで宇部かたばみライオンズクラブの例会です。

 行事予定2013.2.17
 写真は、私の家の一室(仕事場)の壁ですが、これから出席しなければならない行事の案内文書を押しピンで貼っています。これから年度末と年度始めを迎えますが、毎年この時期は行事が目白押しです。4月の行事もありますが、今日時点で18枚にもなりました。これから校区関係の総会がありますから、もっと増えます。
 最近は、このように文書で案内を出すことが普通になりました。おかげで、ほとんど紙を見ることで忘れずに済みます。もちろん、手帳にも(予備を含めて二冊)書き写しています。
 今週は、毎日行事です。忙しい週になりそうです。

 骨髄バンクの説明員研修会2013.2.16
 午後1時から、岡山市国際交流センターで、公益財団法人骨髄移植推進財団の説明員研修会がありました。骨髄バンクドナー登録会の説明員は、年に一度この講習会で骨髄バンクの最新情報を勉強します。全国各地で開催されるのですが、中国四国地区の9県の説明員約60名が集まりました。
 終わったあと、岡山、広島、鳥取、高知のボランティアと交流会がありました。

 3月議会に向けての準備2013.2.15
 今月はほとんど毎日午後1時半頃から4時頃まで市役所にいます。4階に清志会の会派控室がありますが、そこで毎日会議をしています。3月議会の代表質問の勉強会を兼ねています。

 北朝鮮の核実験は2013.2.13
 今回の北朝鮮の核実験のみならず、世界中が不安定になった原因は、アメリカの国力(軍事力)の低下にあると思います。特にその根底にあるのが、オバマ大統領の就任直後、まだ何もしていない時に、ノーベル平和賞を与えたことが原因にあると思います。
 「ノーベル平和賞をもらったオバマは、手足をもがれたのと同様、何もできない」と、なめられていたとしたら・・、これは仮説ですが当たっていないとも限りません。
 昔、世界の警察官とまで言われたアメリカですが、警察官を返上した方が世界が安定するのなら、オバマ大統領は今からでも遅くはないからノーベル平和賞を返上すべきです。本気を示せばすぐに北朝鮮はおとなしくなると思います。

 腰痛2013.2.13
 昨日は、朝会社に行き、午前11時に市役所会派控室で会議が二時間、午後二時から美祢市の宇部興産伊佐セメント工場で工作物サイロの完了検査がありました。
 夜は、三か月に一度の「神原会」でした。
 ところで、なんと朝から腰痛が始まりどんどん痛くなったので、夕方近所の整形外科で診察してもらいました。
 
 朝のニュースで、宇部市職員が入院先の病院で暴行をはたらき逮捕されたとありました。いったい何があったのでしょうか。

 挑発と脅しの区別2013.2.11
 尖閣諸島周辺に、中国による巡回が再開したそうです。中国軍が自衛隊に「ロックオン」(戦闘準備)したことついて、報道(報道番組を含む)では「挑発」と表現していますが、ミサイルを向けて撃つ準備をしたのなら「脅し」とどう違うのでしょうか。
 「脅しても尖閣諸島は中国領」とされている状態が、いじめられっ子がいじめられているのに似ています。相手が逃げるか許せば、それで終わるわけではありません。取るものも取られ、延々といじめられ(要求され)続けるのを、多くの国民は知っています。
 日本がいじめられっ子なら、本当にまだ弱い国です。先日、安倍総理や麻生副総理が訪問した東南アジアの諸国(特にベトナムやミヤンマーやインドネシア)からは普通の強い国になって欲しいと思われているそうです。

 MAID IN JAPANはどこで売っている?2013.2.11
 宇部市内の大型店舗で買い物をしようと、メイドインジャパンを探して歩きましたが見つかりません。ほとんどが東南アジア製かMADE IN CHINAでした。いったい消費者は、どうやって日本製を探せばいいのでしょうか。日本人だからと日本製品にこだわりたくても、品物がありません。
 先日読んだ新聞記事によると、中国と長い国境線で陸続きのロシアでは、粗悪な中国製品が大量に流れ込み困っているとか。安ろう悪かろうでは、本当に賢い買い物かどうかわかりません。昔は普通だったMADE IN JAPAN やMADE IN USAを探しても、見かけることはほとんどなくなりました。
 写真は、中国方面(?)の西の空です。中国から飛来する公害微粒子PM2.5が話題になっています。今日は大変いい天気だったので、空を眺めてみました。

 今日は建国記念の日です。どこでも普通に建国を祝っているのかと思いきや、建国を祝うことに反対する集会もニュースでやっていました。日本のマスコミですから、そういう報道する方もおかしいと思います。憲法改正は、国防軍の創設だからやってはいけないのだそうです。
 韓国も中国も、自国を守るために軍隊を持っています。自分の国を自分で守ろうと考える国は普通の国です。日本が普通の国になろうとしていることに反対する勢力は、きっと日本人ではないのでしょう。

 尖閣諸島での中国軍の動き2013.2.9
 政府が5日に中国海軍艦艇の射撃管制用レーダー照射(いわゆるロックオン)を発表して以降、東シナ海での中国軍の挑発が沈静化しているそうです。中国外務省は、日本の発表がでっち上げと発表(事実と認めれば戦闘挑発行為とみなされ国際社会から批判を受ける)していますが、アメリカを巻き込んだ大問題に発展することになるでしょう。
 ロックオンとは、射撃準備中であることを意味し戦闘態勢ということです。米軍の交戦規定(ROE)では、米戦艦にロックオンされた基地に対する攻撃は許可されている(銃を向けて撃つと脅されれば、これが正当防衛でしょう。)そうで、自衛隊のROEでは許可されていなかったということでしょうが、防衛もできず先制攻撃でやられるという心配がありました。
 中国軍は序列では政府よりも上の中国共産党の支配下にあります。中国外務省は事実を把握せず、中国共産党に指示された中国軍の行動だとすれば事態は深刻ですが、これまでの日本とは違い、安倍総理は堂々と発表して抗議していくと国会で発言しています。毅然とした政府の行動が、国際社会から理解されて自己防衛につながるものと期待します。
 それにしても今の中国のやり方は、日本をどんどん右傾化させていると言えるでしょう。何か意図するものがあるのでしょうか。中国国内が割れている(外部に敵をつくり国内をまとめたいという意図)という見方が有力です。
 ここで日本が意味もなく中国にすり寄るのではなく、毅然とした正義と理性が求められます。

 神原ふれあいセンター運営連絡協議会2013.2.8
 夜、神原ふれあいセンター運営連絡協議会理事会がありました。
 写真は、常盤町二丁目交差点の青少年会館側(ドコモショップ前)からエムラ跡地方向を撮ったものです。景色が大きく様変わりしました。これからどのように変化するのでしょうか。時々写真に撮りたいと思います。

 今週は三つのライオンズ行事2013.2.7
 昨日は、昼間ゆめタウン宇部店で、宇部かたばみライオンズクラブのアクティビティーで献血の呼びかけをしました。
 夜は、同じく宇部かたばみライオンズクラブの青少年健全育成委員会(私が委員長)の委員会でした。
 今夜も、宇部かたばみライオンズクラブの30周年記念大会(私が記念事業委員長でした)の反省会があります。

 地方議員連絡協議会の研修2013.2.5
 昨日午後3時から、山口県地方議員連絡協議会県内研修が下関市生涯学習プラザドリームショップで「人口島についての説明」と「海峡マラソンの説明」を受け、人口島を見学しました。県内の36名の県議会議員と市議会議員、町会議員らが参加しました。
 夜の交流会で、県内のいろんな議員と意見交換ができました。
 
 歌舞伎の市川團十郎さんが肺炎で亡くなられました。急性骨髄性白血病で骨髄移植を受けられた人です。骨髄移植後には大量の免疫抑制剤を投与されます。これが原因で他の病気に罹りやすいのですが、骨髄移植で完全というわけではないことを改めて感じさせられました。
 また團十郎さんは昨年より、NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会の会長をされていました。何度かお会いしたことはありますが大変残念です。

 今日から2月2013.2.3
 2月1日(月)は午前中、宇部興産中央病院へ定期検診に行きました。1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月「去る」と言われるほど、あっというまに過ぎていきます。

 エムラが消えた2013.1.31
 写真の通り、エムラが解体されました。常盤町二丁目の交差点の風景が変わりました。(写真)
 マンションが建設されるという噂です。

 仕事のみ2013.1.29
 車に外気の温度計がついています。朝はマイナス2℃でした。午後1時頃13℃ありました。15℃も気温が上がって、昨日までの寒さが嘘のようでした。山陽小野田市まで走ると、11℃に下がったので不思議でした。
 午前中は会社で仕事でした。午後から、仕事で美祢市の現場に行きました。基礎工事の支持地盤の確認です。

 会社と市役所で会議2013.1.28
 今日は、月曜日ですから朝8時から会社で会議でした。午前中会社で仕事をした後、午後から市役所で会派の定例(毎週月曜日午後)会議でした。夕方会社に戻りました。
 写真は、解体中のエムラです。

 宇部市視覚障害者協会新年祝賀会2013.1.27
 朝8時からゴルフコンペでしたが、正午から「宇部市視覚障害者福祉協会平成25年度祝賀会」が、宇部市総合福祉会館でありました。来賓として出席しました。
 私は、自分自身が耳が悪い障害者であることも話し、「自分も辛かったけれども、耳が聞こえないことを周りに堂々と話せて楽になったこと。その結果、体に何らかの不自由のある人が意外に多くいることを知った。高齢化社会を迎えるしこれからも増える。体に障害のある人が普通に暮らせる世の中になるために自分も努力したい。」と挨拶しました。
 雪が舞い、今年一番の寒さでした。
 写真は、視覚障害者福祉協会の懇親会直前の様子です。

 校区のボーリング大会2013.1.26
 正午から、神原11区の新年会に来賓出席しました。夜は、神原校区のボーリング大会がありました。(写真)
 子どもからお年寄りまで約70人が参加しました。私は12位でした。

 普通の一日2013.1.25
 午前10時から、会派(清志会)でした。午後から会社に戻り仕事でした。普通の一日でした。
 写真は、先々週週の成人式のセレモニーです。渡邊翁記念館で、こういう照明は初めて見ました。

 構造計算2013.1.24
 今日は、久しぶりに朝から夕方まで会社で仕事をしました。久しぶりというのも変ですが、最近は自分の仕事(構造計算など)をじっくりやっている時間がありません。
 議員以外の仕事は帰N設計の構造設計一級建築士ですが、大洸工業(株)の構造技術顧問という肩書も持っています。
 帰N設計(エイエヌセッケイ)は、厚南区東割(妻崎開削)の大洸工業(株)の社屋内にあります。大洸工業(株)という会社は、セメント貯蔵(移送)設備(紛体)のプラントエンジニアリングがメイン業種です。全国展開している会社ですが、外国人はフィリピン人が5名ほどいます。
 アルジェリアの国際テロで有名になった日揮もプラントエンジニアリングですが、規模は違いますが似たような会社です。

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