骨髄バンクの運動をふりかえって

骨髄バンクを支援する山口の会
会 長  猶  克 実 

※WEBページ上で文章を読みやすくする為に、段落や部分ごとに一行空けてあります。  

 1991年(平成3年)12月に(財)骨髄移植推進財団(日本骨髄バンク)が設立されて、今年で18年めになります。山口県内においては、1990年9月に私たちの会の前身である「山口骨髄バンク推進連絡会議」というボランティア団体を立ち上げ、全国運動の後半部分で「公的な骨髄バンク」の設立運動を始めました。

  当時は、「骨髄バンク」という聞いたこともない名前を周知してもらうために、骨髄バンクと骨髄移植の普及啓発を目的に、シンポジウムを県内9ヶ所で開催するなど、まさしくゼロからのスタートであったことをすぐ最近のように覚えています。

  骨髄バンクを必要とする人たちは、当時も患者と家族に限られますから、シンポジウムを開催しても、来てもらえる人が限られます。どうやって会場に来てもらえるかから大変な苦労でした。我々は形だけのシンポジウムで成功にするわけにはいきませんでした。骨髄バンクの設立に結びつくような国を動かす原動力を求めていました。そのために、患者とその家族だけの勉強会を事前に行なう必要がありました。私自身も全国を駆け巡り、造血幹細胞移植学会や名古屋第一日赤や広島赤十字病院の先生たちによるボランティアへの勉強会にも参加しました。

  実は私も長女が白血病を患った患者家族になったことがきっかけでボランティアを始めています。化学療法で一度は寛解状態までいったものの再発して、最後の望みの綱である骨髄移植に期待したのですが、骨髄移植をするには白血球の型(HLA)が一致する必要があり、四分の一の確率で合うはずの4人もいる子供達の中からも親も一致していませんでした。希望を失いかけた時、山口大学病院の先生から「非血縁者間の骨髄移植の可能性もある。広島で骨髄バンクのシンポジウムがあるから行ってみませんか」と言われ、骨髄バンクのことを全く知らなかった私は、バンクに登録するくらいの気持ちで初めて参加しました。

  ところが、そのシンポジウムは「国を動かし骨髄バンクを作ろう!」という運動だったので、私は愕然としました。とにかく「バンクを必要な人が動かなかったらバンクはできない。まず自分にできることからやろう」と気持ちを奮起させて、「山口県内でこの運動をやっている人を手伝いたいので教えてくれませんか」と主催者に尋ねました。その返事にまた驚きました。「山口県からあんたが来たんじゃけえ、あんたがやりんさい」言わればその通りなのですが、当時はボランティアには無縁で、「誰かがやってくれる」と甘く思っていた私は、叩きのめされて目が覚めた気持ちになりました。とりあえず山口県に帰り署名活動から始め、第一回のシンポジウムなるものを開催する準備をしました。

  当時は、シンポジウムの開催の成功を決めるのは新聞やテレビの影響が大きかったと思います。全国でもそういう流れにあったおかげで、山口県内でも大変お世話になりました。テレビの報道を見て集まった仲間も増えました。

  患者やその家族自身が公に顔と実名を出して運動することは、当時は珍しかったでしょう。患者や家族はその闘病生活だけで精一杯です。シンポジウムでは、当時は「患者とその家族の席」というのを設ける時代でした。「白血病などの血液の難病=死の病」という印象を拭えず、プライバシーも確保する必要があったからです。ボランティアを集めるのも、シンポジウムなどの報道が頼りでした。今でこそ、さまざまな骨髄バンクのイベントでは患者を区別することはありません。骨髄移植で助かる可能性が高くなったおかげでしょう。

  結果的に自分の娘も、国の(現在の)公的骨髄バンクができる前の九州骨髄バンクの中からドナーが見つかり自分の娘は骨髄移植を受けることができて助かっています。

  骨髄バンクができたおかげで、現在の患者はドナーを探す苦労はありません。骨髄移植を希望する患者の9割に白血球の型の一致するドナー候補が見つかるようになり、そのうち約6割が移植までたどりついています。その礎となったバンク設立運動に関わった当時の全国の多くの患者たちは、バンクができる前に無念にも亡くなられました。今でもバンクを必要とする人はバンクの恩恵を受けることがないであろう多くの人に支えられています。その人たちが健康な人であるということが違うだけです。

  骨髄バンクの現状は、平成21年1月現在、ドナー登録者数331,118人、患者登録者数2,431人で、ドナー登録延べ人数419,808人、患者登録延べ人数26,799人で、延べ10,174人の患者がバンクを通じて移植することができました。

  しかしながら登録はしたけれども、一致した患者が見つかっても提供者になれないケースが半数以上あるのも現実です。登録時によく理解していなかった場合か、ドナーの家族や健康上の理由が多くの原因です。患者の病状の都合で中止になることもあります。登録を増やすというだけでは目的を達成したことにはなりません。だから私達は登録の中味にこだわっています。

  骨髄バンク設立運動の頃と今でも共通する悩みは、骨髄バンクを必要とする人は血液の難病の人ですが、登録を呼びかける対象は18歳から54歳までの健康な人に限られるため、バンクへの関心が限られることです。当人が難病の経験者や元患者では登録ができません。ドナーが亡くなってから提供するわけでもなく、健康であることが登録条件であり提供できる条件であるため、この骨髄バンクの運動は今でも困難を極めています。

  骨髄バンクの運動は、「究極の人類愛」だと言った人がいました。誰であるかわからない人に提供する意思を持ち見返りも求めないという骨髄バンクの制度は、人類愛であり世界平和に通じるかもしれません。そしてアイバンクや腎バンクも同じですが、そのバンクに登録することよりも、提供に結びつく可能性の高いバンクに育つように心から願っています。

骨髄バンクを支援する山口の会

検索エンジン等で、こちらのページから入られた方は、一度「なお克実オフィシャルページ」へお戻りください。